院長紹介

院長紹介

佐名川 徹

さながわ歯科クリニック
医院長 : 佐名川 徹

平成9年 岡山大学卒業
平成9年~15年 兵庫県姫路市 中川歯科医院勤務
平成13~15年 兵庫県明石市 下間矯正歯科非常勤
平成14年~16年 明石矯正研修会インストラクター
平成15年4月 さながわ歯科クリニック開院
平成15~ 岡山矯正研修会インストラクター
平成21年~25年 岡山大学医歯薬総合研究科
咬合・有床義歯補綴学分野 社会人大学院

主な研修履歴

  • SORG明石矯正研修会修了
  • 名古屋歯周補綴コース修了
  • 岡山エンドセミナー修了
  • JIADSエンドコース修了
  • GPOアドバンスコース修了
  • ブローネマルク インプラント研修会修了
  • カルシテックインプラント アドバンスコース修了
  • エンド・ペリオ・インプラント外科実習コース修了
  • JIADSペリオ6カ月コース修了
  • 明海大学・朝日大学・UCLA 歯周・インプラントコース研修修了
  • 岡山大学大学院医歯薬学総合研究科(咬合・咬合補綴科)修了
  • Comprehensive Management in Clinical Dentistry - Hands on course修了
  • SJCDマイクロデンティストリーコース
    (ベーシック、ペリオ、エンド、インプラント、べニア)修了
  • 歯科治療を成功させるための診断力アップセミナー 6日間コース修了

所属学会

  • 日本臨床歯科医学会(SJCD) 広島支部副支部長
  • 近畿矯正歯科研究会 地方幹事
  • 岡山矯正研修会(SORG) インストラクター
  • 日本補綴歯科学会
  • 日本口腔インプラント学会
  • 日本顎咬合学会
  • 日本顕微鏡歯科学会

ご挨拶

いつもさながわ歯科クリニックにご来院いただき、誠にありがとうございます。
この度、さながわ歯科クリニックでは新たなホームページを作り、より多くの患者様に医院の事や院長である私自身の事を知っていただきたいと思っています。
長文にはなりますが、ご一読いただけたらと思います。

私は昭和46年に母の実家である倉敷(倉敷中央病院)で生まれ、大学に入るまで神戸で育ちました。
小さい頃はおとなしくて、どちかというと内向的な子でした。
当然自ら授業で手をあげて発表・・・なんて考えただけでも緊張してしまう、そんな子供でした。
そういうタイプの子ってクラスに1人くらいはいましたよね?
今思えばかわいい時期もあったなあと思います。(笑)

中学1年生の時に訪れた転機

そんなシャイな私を変えてくれた出来事が中学1年の時に起こります。
私は卓球部に所属していたのですが、顧問の先生がすごく体育会系で、とても厳しかったんです。
普段は優しく面倒見の良い先生なのですが、一度怒ると、さぁ大変!
練習中にラケットが手裏剣のように鋭く飛んでくることもありました。
先生の機嫌が悪くなり始めるとみんなビクビクしていたことを思い出します。
ある日のミーティングで、例のごとく先生からの緊張感あふれる話があった後でした。
「おい、佐名川。お前、この前の学年末のテストで学年2位やったぞ」
みんなが一斉に振り向いて私を凝視したのを覚えています。
人から注目されるのが苦手な私です。顔は真っ赤に火照り、半分パニック状態でした。
その時は、極度の緊張のせいで嬉しいのかどうか分かりませんでしたが、うわさがうわさを呼び、「学年2位」というあだ名?までもらって、しばらくの間、友人からチヤホヤしてもらいました。
「人に褒められる、認められるってこんなに気持ちいいんだ!」
この時からです。私が勉強を頑張り始めたのは…。
そして少しずつ自信を持ち始め、人前に出ても緊張しなくなっていきました。
あの時のN先生のたった一言が、私の人生を大きく変えてくれたんです。
N先生には本当に感謝しています。

そんな一言から自分に自信が持てるようになった私は、文武ともに全力で取り組みました。
その甲斐あってか、高校では1クラスだけの理数系の特別クラス、卓球部では1年の時からエース。
まさに順風満帆の時を過ごしていました。正直有頂天でした。
ところが・・・「おごれる人も久しからず」そんな名言を痛い程感じる日が来てしまいます。
部活にのめりこんでしまった私は勉強することを忘れていました。
というかサボリつづけていました。
少しくらい勉強していなくても大丈夫…。
そんな甘い考えから成績はスカイダイビングのように急降下。
担任の先生に怒られること、いやみを言われることも日常茶飯事となり、私の自信はみるみるうちに砕けていきました。

自信をなくした私を支えてくれた両親に感謝

そして負の連鎖反応が起きます。
卓球もいつものキレのあるサーブ、スマッシュが打てなくなり、エースのポジションは奪われていきました。
自信の喪失とともに体にも悲鳴が…。
学校に行かなければならないという思いとは裏腹に、頭が痛くなったり、お腹が痛くなったり…。
そんな私を見て、仕事をしながらも頑張って学校に通っていた父は「しっかり勉強しろ!もっと頑張れ」とプレッシャーをかけてきます。
しかしそんな私を支えててくれたのは母親でした。
「大丈夫やから頑張りな」
今思えば、厳しさも優しさもある、とても良い両親に育てられたなと感謝しています。

兎にも角にも、進路を決めないといけない時期がやってきました。
でもこんな学生です・・・
当然現役志望校合格はかなわず、浪人生活を1年過ごすことになります。
私の想像以上に予備校の授業料は高額で、家計を苦しめてしまいました。
父からは「2浪は絶対あかんぞ。今度合格せんかったら就職しろ」と毎日のように言われていました。
そんなプレッシャーもあってか、1浪の末なんとか岡山大学歯学部に入学することができました。

晴れて大学生となり、それまでの緊張感ある生活から一変して、自由な一人暮らしを得たものの、小さい頃にずっとお世話になっていた小児科医の先生に憧れていた私は医学部進学を諦めきれず、一大決心をして、歯学部を半年休学し再度、医学部を受験したのです。
しかし、結果は、撃沈…。
ショックでしたが、踏ん切りもつき、私は生涯歯科医師として、そして一流を目指して頑張っていこうと決心をしたのでした。

歯科医としての第一歩

大学を卒業後、歯科医師となった私は姫路の中川歯科医院で勤務することになりました。
当然歯科医師になったからには痛くなく早く治すためにはどうすれば良いか、精度が高くて長持ちする治療はどうすれば良いか、患者様を無理なく健康に導くにはどうすれば良いか、毎日のように勉強しました。

もともと人に喜ばれる仕事がしたくて医師になったというのもありますし、普段の勉強や休日のセミナー参加も、何の苦とも感じませんでした。
しかも院長の中川先生は寛大で、私がいろいろと勉強してきたことはどんどん実践しろと言ってくださり、インプラントの手術等も数多く担当させていただき、私は歯科医師としてどんどんスキルアップすることが出来ました。

さながわ歯科クリニック開業

その中川歯科医院で6年間修行させていただき、平成15年に岡山市中区倉田にて開業するに至りました。

お陰様で、開業当初から数多くの患者様にご来院いただき、少しずつ設備やスタッフも増やすことが出来ております。

人材育成や医院経営については、大学でも勤務医院でもちゃんと教わる機会もなく、試行錯誤しながらでしたが、そんな中、私について来てくれたスタッフには本当に感謝しており、私にとってはかけがえのない宝物です。
そして、医院の診療概念をご理解頂き、来院して下さる患者様からは喜びの声や、時には厳しいお言葉もいただきながら、いろいろなことを教わることも出来、ここまで医院が発展できたのも皆様のお蔭であると深く感謝しております。

私達の仕事は、虫歯の穴を詰める、歯が痛いから治すというだけではありません。
その先にある笑顔を見たくて頑張っているのです。
「お口の健康を得ることで皆様の人生がより豊かになる」ことを信じ、今後も、皆様に笑顔を届けられるよう、日々精進していく所存です。
スタッフ一同ご来院お待ちしております。

家族への感謝

この場を借りて家族へもメッセージを送りたいと思います。

私にはまだ幼い愛娘と愛息子がいます。
育児に関しては妻にほぼ任せっきりですが、
これだけは心がけていることがあります。
それは、「子供は褒めて育てること」です。
子供は、褒められると目を輝かせて喜び、今以上にもっと頑張ります。
そしてまた褒められようとします。
それがまた私の親心をくすぐるんですよね~。
私が褒められることで人生が変わったように、自分の子供、そして、患者様のお子さんにも自信を育みながら成長していって欲しいと思っています。

私は歯科医師として一流になるために、休日もセミナーや勉強会に出席していることが多く、正直、家族サービスができておりません。

子供たちには、「いつも遊んであげれなくて本当にごめんね。」
妻には、「いつも1人で子供たちを育ててくれてありがとう。」
と、メッセージを送ります。
一緒にいる時間は少ないけれど、家族への愛情は君たちが思っている以上に大きいんだぞ!
いつか父親の背中を見て、「お父さんはよく頑張っていたんだな~」と思ってもらえる日が来ると信じてます。

今度家族みんなで旅行でも行こう。
その時はいっぱい家族サービスさせてもらいます!」

こんな院長ですが、誠意を持って治療をさせていただいております。
今後とも、どうぞ宜しくお願いいたします。

長文をお読みいただき誠にありがとうございました。